kohkuriのブログ

本とか映画とか漫画とかの感想。日常で気づいたこととか。キーワードは「場」。

漫画「鉄コン筋クリート」


ココカラ ミンナガ ミエルヨ。


漫画と映画、どちらも拝見。

真実への追求が描かれている気がした。

その真実は決まった一つのものではなく意図的に漠然としており、成るように成った末の真実で、真実にたどり着くための手段として”混沌”と”補完”が用いられている。


シロとクロが掲げる夢(=真実)は海のそばに家を建てること。海は自由を意味し、家は自立を意味しているのではないか。

彼らは離れることにより補完を知り、善と悪(じっちゃ⇔宝町を除外する者たち)により混沌を知る。また、イタチの存在がキーで、闇に染まりきること(クロがよりクロになること)が真実になり得ることも示唆している。作中でイタチは最強だ。

つまり混沌を無視し、補完も無視し、ただ一つのもの(=真実)にのみ力を注げばそれは夢を達成することになる。しかし、クロはこれを否定する。クロはシロが、またじっちゃが、そして鈴木が補完してくれる存在だとイタチを通して、また宝町を除外する物たちを通して知ることができた。補完を信じることは様々な物を受け入れること。混沌を受け入れることだ。


整理すると、シロだけでも、クロだけでも、真実にはたどり着かなかったという話。彼らは善と悪により混沌と補完という武器を手に入れ、夢(=彼らにとっての真実)を叶える。

ほんと、こんなに実生活に役立つヒントをくれる作品は中々ない。

まずは真実=夢を持つこと。明確に想像でき、ハッキリと口に出して。クロとシロみたいに。そうすれば何が善で何が悪かわかるのかも。まずは自分の中に答えをもつ!

善と悪を通して混沌と補完の重要性に気づく。思えば、自分が好きな人は絶対誰かに嫌われている。つまり、敵がいる。答えが自分の中にあるからだ。彼らが、クロとシロがハッキリ言えちゃうのは、帰るところがある、じっちゃのような人のおかげなんだと思う。宮台真司の言う、ホームベース的な、心のプラットフォームのようなもの。人間、ずっと夢に向かって突き進むのは無理だ。補完に気づけば、誰が補完なのか、つまりどこが帰るところなのか。知ってる人は、強い。


今は卒論で「場」について論じようとしている。サードプレイスやコミュニティを通して。昔から、幸せと自我と広告に興味があった。将来はフリーランスとして働きたい。また、場の運営をしたい。その場を混沌としたものにし、誰かの補完となるものにしたい。夢を語っていいんだ。というか、語らなければ味方と敵の区別がつかん。でもしんどいときは帰るんだ。それが家族、友達、恋人でもいいし、場でもいい。選択肢は多ければ多いほどいい。自由に強ければ。フロムの自由からの逃走、読もう。またその感想はブロクにでも。






映画「ハンナアレント」

政治学者、ハンナアレントの生涯を描いた作品。著書『人間の條件』は難しく、途中で離脱した思い出がある。


終始、「かっこいいなー!」という感情で恍惚とした表情になっていたと思う、恥ずかしながら。

「正義」とは何か、「正しい」とは何かを自問自答せざるをえない内容。
特に今、自分が卒論を書いていて、自分なりの答えを導かないといけないことも合間って。
来年は社会人だし、もっと答えを、それも説得力を帯びて、出していかないといけないんだろうなー。
ハンナは答えを導く作業を繰り返し、繰り返し、生きていたんだと思う。尊敬。


思うに、ハンナがかっこよく強いのは、意志の強さが関係していると思う。
同胞に拒否されようが貫き、闘う。それが出来るのは、彼女にプラットフォームがあるから。愛する人という。
強い意志でも、発揮できない環境だと意味がない。
そういう意味で、自分も環境を整え、誰になんといわれても動じない強い意志を、確固たる意志を心に抱き続けようと決心できた映画だった。

映画『ハンナアレント』75点